鎌田-仙石(その1)

区境の大黒天に敬意を表し鎌田に入る。長光地永沼家の樫の大木に昔話が聞けたなら・・・と思う。
向山の松岩山の観音堂は仙道三十三観音(正徳五年(一七一一)大槻村良悦法師三十三観音組をつくる)の札所で彦根寺が別当であったという。
又、彦根寺は下松川古内の圓福寺と共にいわき市四倉玉山にある恵日寺の末寺と町史に記されている。彦根寺入口より旧道は湾曲して通称八幡下に続く。

八幡神社の三叉路は古くから重要な追分で境内にある真言曼陀羅の石柱には安永五年(一七七五)東岩城海道、西石川海道、□□倉海道と記されている(□□は南棚と刻したものだろう)

又、明治十八年建立の聖徳太子碑の台石にも指さし手形の道しるべがある。

三叉路を南に下ると渕の上館の下を通り明内そして鮫川村の戸倉西山を経て浅川、棚倉方面に。又、赤坂中野を経て塙方面にと重要な道であったろう。

石川方面に進む旧道は県道に添って湾曲しながら生きている。この旧道も昭和二十年代までバス(古くは乗合白動車と呼んだ)が運行していたとは思えない程狭く感じる。

鎌田小学校脇には庚申塔外の石仏群があり区境の若神子には大黒天が鎮座している。

仙石叶神の薄井家は長屋門の奥に茅葺の母屋をもつ旧家で旧道の右側にある地蔵堂は薄井家一族で祀ってる。堂前の庚申塔は文化十三年の建立である。

照内から旧道はゆっくり登り木戸脇に入る。右上の畑には天保九年(一八三八)より小見川藩となった仙石陣屋の石柱記念碑がある。

下りきった左側に昭和初期の頃乗合自動車の切符売場のあったことを想い出した。水色のペンキを塗った小さな事務所で白髪の老人が居て自動車の中に入ってきたことを覚えている。

後日有賀真雄氏の曾祖父で弥茂吉さんと判った。

右手にある熊野神社の棟札には天保十二年御領主内田豊録様、別当玄海とあり、古い幣束には文化十年大丹那寺西重次郎、名主水野清右エ門の文字が読める。

社の入口にある清水は石川中学校(現学法石川高校)に砂利道を自転車で通った生徒には格好の休息所であった。

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