鎌田-仙石(その2)

だらだら坂を登ると立場である。木炭を積んだ石川、須賀川行の荷馬車が繋れ荷鞍の下に汗が黒く浸み出していた風景や、乗合自動車が通る前まで竹貫より石川まで定期便の乗合馬車(俗称トテ馬車)もこの立場に休んだことなど走馬燈のように思い出が浮んでくる。
立場より柿木平に向う旧道は昭和十二、三年頃農村の救済事業として施工されたものである。なお当時の労銀は普通男子が日当六十五銭、砂利採りは重労働で八十銭-九十五銭位であった。

柿木平の旧道脇にも庚申塔(文政七年、一八二四)弘化二年の石尊碑があり山腹には仙石集会センターがある。
 
ここは地蔵院跡で幕末に廃寺になり、明治八年には鎌田小学校の出張学校が置かれたこともある。
郡境は清水立場で淡島像、稲倉魂命碑等の石仏群がある。

石仏群の中で大きな「金剛山」は大和葛城の金剛山で分霊を古峯ヶ原に祀ったため金剛山あるいは「古峰原金剛山」と呼ばれるようになつたが、明治二年の神仏分離で金剛童子は日光山に移され社号は古峰神社となったといわれている。

向山麓の須受売神社が鎮座してる県道よりの参道左側の畑には元は五本杉があって石川城主源成光公が明応九年に奉納植付けたものといわれている。

裏山は仙石館(松山館)跡で、居館は寄居前の現水田だったという。

鎌田から仙石を経て石川に通じる現御斉所街道は実にすばらしいが、之は戦後の食糧事情の厳しい昭和二十八年頃、鎌田、仙石両区の方々の協力があったからこそできた道である。

ここから石川町に入るが、中谷、石川、玉川そして矢吹、須賀川東部には石川氏の仏教遺産が多く残されている街道である。

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