荷市場-古内線(その1)

いわきの浜より奥州街道の須賀川・白河方面へ阿武隈山地を越えた塩の道を調べたいと、教育委員会の担当者と晩秋の一日荷市場より三株山道登り口の古内まで歩いた。
町 の象徴である鎌倉岳山裾の荷市場の地名は「市神碑」(1319年建立)が語源であり、塩の道の重要な点でもある。道案内に馬場の我妻軍次さんが協力して下さった。十数年前までは神社の入口に神木として落雷に遭っても毅然としていた老杉も鮫川護岸工事のために姿を消してしまったが、幾星霜樹下の旅人を見 守っていたのだろう。荷市場を過ぎ竹の内に続く旧道は、ほ場整備のため跡形も無いが、山裾にわずかに名残を留めていた。
戸倉内に着く。
ここは明治初年頃廃寺になった戸倉山威徳院の境内で、いわき市植田町報徳院の末寺である。
現在阿弥陀堂だけが残っている。枝も折れんばかりに実の着いている銀杏の大木の下に如意輪観音の石像が多いのは、十九夜講、二十三夜講等の念仏供養が多かったことを物語っている。

「ほ場整備前までは鳥居跡の土塚があり草を刈るのに足を掛けずに刈らされた」と案内してくれた久保木さんの話である。又近くに掘り出された大きな手洗石もあった。一旦山道を登る。鮫川の流れが山裾を洗っていたので山道になったのだろう。後日の話しでは戸倉内の上手に「赤木淵」下手に「関田淵」に囲まれた地形だったと教えられた。山路の正面には鎌倉岳の横顔が見える。
威徳院の修験場としての山でなかったかと推理する。途中より旧道は杉林に入り次第に薮の中に消えてゆく。
眼前が開けると西渡地区のほ場整備地である。山裾の墓地の入口には明和年間建立の南無阿弥陀仏の名号塔があり左奥には老杉に囲まれて諏訪神社が鎮座している。
旧道に出て西渡に入る。地名からすると道祖神を祀るとの意味なのだが見当たらない。時間がないので後日再調査したいと道を進める。旧道は一旦台地を進み下ると又篠薮となる。杉林の中の大木の基に石仏が倒れている。起してみると地蔵菩薩の浮彫である。

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