荷市場-古内線(その2)

萩平を過ぎると旧道は一旦鮫川沿いに下って馬場沢を渡り馬場に着く。
道端の太子堂の棟札は宝暦十年で境内には明和、安永年号の石仏群がある。午後からの風は強い。
我妻さんは山刀を腰に、足ごしらいも厳重に鮫川沿いの道を先頭に立ってくれた。現在川と併行して舗装された農道があるが、旧道は山裾に向って斜めに走っていたという。
大原小学校のプール附近より杉林の中を登る道になる。水野春樹氏の畧図によると、登り口附近には昔茶店があり、石地蔵尊があるとのこと。落葉を掻き分けて 探すと首無しになっている丸彫りの地蔵様が見つかった。これも明治初期の石仏廃棄の名残りか。近くに日陰のため育ちの悪い一本の茶の木があり、茶店の跡だったことをしのばせている。

旧道を辿ると尾根は堀切になっている。どうしてこの山坂道をと思ったが、畧図によると鮫川沿いは崖でその下は釜淵と書かれてあり、我妻さんも子供の頃泳いだ淵の話をしてくれたので納得した。
尾根を過ぎると杉の美林で道跡は消えている。大きな岩があるので磨崖仏がないかと探したが無駄だった。梅平(めでいら)を過ぎ小松川の瀬を渡って山裾に行っても旧道は見当らない。杉林に入ると鳥居がある。平安中期陰陽道の安部晴明の伝説にある晴明神社の参道である。
岡部製材所の假橋近くになると旧道の姿が生きている。林道も兼ねていることにもよるが曲った細い道は昔をしのばせている。

対岸の畑中、和久から来る道と合して俗称「牛ころばし」の坂路を登り三株山中腹にそして磐城の浜方面に続いていると言う。
戦後三株山開拓者が食料や肥料日用品を牛の背でなく自分の背で運搬したとのこと。旧道塩の道も一時生き返ったことになる。
近く文化財調査を兼ね三株の山道を含む塩の道を克明に調べ先人の苦労を偲びたい。

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