荷市場-竹貫-仙石

荷市場-竹貫-仙石
荷市場の市神碑前の三叉路を西北に向かう巾一間弱の旧道は完全な形で残っている。左上の国井家の苔むした石垣には旅人のざわめきを留めているかのようである。

古い字限図によると鮫川べりまで道は続き町民体育館の裏あたりで渡河の位置は不明だが丸木橋を渡ったのだろう。鮫川の洪水の度に橋は流され又流れも変化し河原も多かったことと思われる。
長久保附近で国道と交わっている。右に折れると横川の愛宕山の岸を通り宮本小学校の下を山上方面に通じている。
 
沼舘愛三編著の「仙道地方諸城の研究」によると横川館は屋敷型の平館で愛宕山下あたりで天正年間(一五九〇)竹貫三河守と国替になった横川豊前守の居館と推理している。
又愛宕神社境内には塙の代官として名高い寺西重次郎の治績を示す記念碑があり建立者は松川村名主渡辺金蔵(刻名は綱甫)外一名である。
 
長久保を左に折れて竹貫方面に向かう桑原と横川境の目印だった大石は昭和の初期頃まであったが道路拡張の犠牲になったのか今は無い。

旧道は国道より一段高い山岸で旧町役場脇のもみじ(町指定天然記念物)と庚申塔、馬頭観音の石仏群の下を通り役場裏の湿地を避けて迂回している。

このもみじと共にあった桜は大正八年三月の竹貫大火の際飛火で大部分焼けたが昭和の初期までかろうじて生きていた。

中学校の通学路を横切って杉林の中に入ると旧道は落ち葉に埋れているが形は明瞭である。急傾斜地工事を施工したのでここから道跡は消えている。工事前までは瀬谷芳夫氏宅に登る途中に旧道が残っていて利用していた。

旧道は瀬谷一郎氏宅の裏にある庚申塔の前を通りここで山路と交わり下って国道に合している。

この山道はその昔、竹貫三河守の居城牛ヶ城と陣場山を結ぶ重要な道だったといわれている。

尚陣場山には八幡神社(雷八幡神社)が鎮座し祭事として流鏑馬、笠懸もありほ場整備前までは一の的、二の的の地名と盛上がった射場の形も残っていたという。

後年人家が現在のように道の下側に建てられたので俗称「道の下」の地名が生れたのである。

(明治十三年竹貫区長文書)江戸時代の竹貫宿を記したものに天明八年(一七八八)古河松軒の東遊雑記がある。その中に「十一日上遠野発足、四里余の山路を越えて石住着、三里竹貫止宿、在町にして甚佗し」とある。
又嘉永五年吉田松蔭の東北漫遊の折竹貫に泊った日記にもあまり裕福な宿場ではなかったようである。

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