本祭りNo.2

例祭の祭典

午前11時、一同が拝殿に正座して、祭典が執り行われる。本殿に向かって左には神職、神社総代、右に供進使、同随員、役者、当番区総代ほかの参列者が坐る。
次第は次のようである。
献饌
祓詞
修祓
祝詞奏上 宮司
玉串奉奠 宮司、供進使、神社総代、役者、氏子総代
直会
一同でお神酒をいただく。このあと、社務所で神社総代、氏子総代、招待者等を招いて、再度直会が行われる。

獅子舞奉納

午後12時半、社殿前で獅子舞が演じられる。
原則として「論田の獅子舞」と「八ヶ久保・薄木の獅子舞」が1年交代で奉仕する。
論田の獅子舞は、元来地元論田の湯殿山神社に奉納されてきたところから、同社の旧社号をとって「権現さまのささら」といわれ、鵰巣(くまだかす)、中ノ町(中組)、名花の三地区がそれぞれ個別に継承していたもので、近年統合された。
踊り手は先獅子、中獅子、後獅子に、軍配とささらを持った「ささら」1名で、演目は「宮参り」「だんごだん」「橋掛かり」「鳥居掛かり」「掛かり」「庭見せ」の六種を伝えている。

八ヶ久保・薄木の獅子舞も、元来八ヶ久保北向の湯殿山神社ほかに奉納されてきたもので、かつては「八ヶ久保のささら」といわれた。踊り手は雄獅子、中獅子、雌獅子で、演目によっては四隅に「花笠」が出るなど、獅子舞の古風な形態もとどめている。演目は「松の下」と「振り込み」で舞い込み、本舞は「ロー シ」「庭見せ」「岡崎」「十二切り」「喰い合い」「切り」など13に区分している。

笠懸

午後1時半、笠懸が行われる。
まず、役者が乗った馬を口取り役が轡(くつわ)をとって笠懸田を大きく一回まわり、その後、役者はたずなをさばいてさらに2周し、神社を向いたところで馬の尻を叩いて走らせる。
役者は馬上から宮司宅屋上の千木(ちぎ)をめがけて鏑矢を放つ。役者は射放つと、弓を両手で高々と捧げ持ち、奔馬のままに随身門内に乗り込んで、一且下馬する。3名の役者が、各1回ずつ行う。
この笠懸田は社有であったが現在は宮司所有で、近年埋め立てて走り易くした。

流鏑馬

午後3時から流鏑馬となる。3騎の役者は大鳥居前に扇型に並ぶ。
役者の乗った馬を口取り役が引いて道場前の馬場元を3周し、掛け声で口取り役は離れ、役者の乗った馬は一の的に向かって走り出す。
この時、役者は口にくわえていた白扇を放る。
これは縁起物で信者は競って拾い、各自の神棚に上げておく。
この白扇 は本祭りにだけ撤き、宵祭りにはない。
 さらに役者は素早く箙から矢を1本取り出し弓をひいて、ヨイヤサの掛け声で一の的を射る。
同様にして次々と矢を取り、二の的、三の的を射る。

馬場末から戻るときは、弓を横にして両手で捧げ持ち、「のっこみ(乗り込み)だ」といって戻る。
3人の役者は順番に2回ずつ行うので、流鏑馬は計6回となる。

道場の2階には、神社総代と当番区総代が登って検分する。

3名の役者が笠懸と流鏑馬の行う順番は、かつては直前にくじを引いて決め、一番くじを引くと名誉とされた。現在は、9月初めの当番区の総代会で、やはりくじではあるが、最初にくじを引く順番、次に本番の順番と2回引いて決めている。

的は、方1尺8寸(約54.5センチメートル)、厚さ2分(約6ミリメートル)の桧(ひのき)板が古例で、対角線上に角材を付けて角を上にして立てる。近年は方3尺(90センチメートル)の的を用いている。この的は当番区がそれぞれ1つずつ作り、宵祭りの正午ごろ神社に乗り込むとすぐに定められた場所に立てる。

馬場は、かつて馬場元から一の的まで29メートル、二の的まで140メートル、三の的まで250メートル、馬場末まで340メートルで、道路と重なっていたが、平成4年に道路と分離し、的の距離は馬場本からそれぞれ、77メートル、150メートル、230メートル、290メートルとした。

くらべ馬

今次大戦直後まで、流鏑馬の前半と後半の間に「くらべ馬」を行った。
氏子有志が馬を引いてきて、裸馬に筵を巻いて乗り、馬場を走って競いあった。

直会

神事が終わると、それぞれの区に帰り、無事に終了したことを祝って区長宅で直会を行う。
事情によっては集落センター等を用いる。
的は区ごとにいただいてきて割っておき、この直会の折、区長が全員に配る。
各家では、魔除けとして神棚に上げておく。
これで祭礼は一切終了する。

出店

参道や馬場の周辺には、古くから多くの出店が並び、参拝者は柿、柚子(ゆず)、生姜(しょうが)を帰途に土産として買い求める風習がある。いわき市平の飯 野八幡宮の流鏑馬も、「生姜祭り」の別名があるほど生姜の店が出る。祭りに生姜やニンニクがよく売られるのは、これは神が好むと信じられていることと、薬として重宝されたことによる。

野立て

流鏑馬太鼓

流鏑馬太鼓
このように笠懸と流鏑馬を中心とする当社の祭礼は、建久5年から始められたとの縁起を持つだけに、古式を守り、幾多の苦難を乗り越えて今日まで連綿と伝えられてきた。
この祭りの特筆すべきことは、流鏑馬のみならず笠懸も伝えられていることであるが、それに加えて「沐浴(垢離とり)」や「水取り」といった潔斎が、それも真夜中と早朝に厳格に行われていることである。

笠懸や流鏑馬は、競馬とともに元来、年占(としうら)の意味を持っていたといわれるように、これほどの潔斎があるのも、両神事が単なる技の競い合いでなく、古来からの神の意思を聞くための厳しさと畏れを、厳然と伝えているからにほかならない。今は中断している「くらべ馬」も、余芸ではなくまさに年占の名残である。出店で生姜を売るのも、古くからの信仰が今に生きている証である。

祭りの構成要素である潔斎、神迎え、神幸(しんこう)、祈願、年占、直会がすべて整い、古来の信仰の姿をみごとに伝えている極めて価値の高いこの祭りを、このまま子々孫々まで伝えていくのが、町民の責務であり、それをまた誇りとしたいものである。(懸田弘訓)

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