竹貫変成岩の概要(No.2)

[3]阿武隈変成岩-御斎所変成岩と竹貫変成岩
(1)御斎所変成岩
いわき石川線をいわきに向かって行くと、才鉢から東の街道ぞいに見ることができる。また、これは北西に石川町へ続く。
鮫川石とよばれ、低変成度の変成岩で鉱物の粒が細かい。
緑色片岩・角閃石片岩・黒雲母片岩などである、片理によるしま模様が特色で、しゅう曲のあるものもある。
いつ、どこで、どのようにしてできたのであろうか。
昔は、海底にあった竹貫変成岩の原岩の上にたいせきしたものがもとの原岩といわれた。およそ4億年前という。今は、変成岩の中に入っていた化石の発見によ り、およそ1億2千万年前、大陸から遠く離れていた大洋の海底に堆積したどろ、砂、海底火山の火山灰、生物の死骸の堆積岩の変成されたものと証明された。 (1987年)
(2)竹貫変成岩
◆特色
高変成度の岩石 粒が大きく鉱物の形を肉眼で見ることができる。
(けいしつ片麻岩・黒雲母片麻岩・角閃者・結晶質石灰岩・ラテライト質岩)
◆できた時代
はじめおよそ4億年前、堆積岩が変成したという説が云われていた。ところが1958年仙台第二高校生が、仙石叶神でおかしな、しま模様のないザクロ石の 入っている重い石を発見した。3年後これから十字石を発見。1964年から3年半、この高校は宮本中学校の宿舎を借りて宿泊、採集研究。十字石変成岩の露 頭を叶神・横川・大作、らん晶石変成岩の露頭を長光地・大作で発見した。このことから、阿武隈山地ひいては日本列島の誕生が6億年前ではないかと云われる ようになった。
この発表以来、竹貫変成岩はますます有名になり、叶神と横川の「十字石 コランダム 角閃石 珪線石 ざくろ石岩」は、天然記念物級の貴重品と云われた。
1983年7年間、古殿・石川の変成岩を研究された北海道大学の方々と出会いご指導をいただき、古殿の地質図をいただいた。
それから12年、学問は進みプレート理論が一般化され、今まで解明されなかったことが、説明されるようになった。
(例えぱ、地震などについて)この考えから、阿武隈変成岩はプレートの移動によって、竹貫変成岩の原岩の上に御斎所変成岩がのしあがり合体し、いっしょに変成したのであろうと云われるようになった。
このぶつかった所は何処か、くわしく研究されている。
(石川一古殿)
また、竹貫変成岩の原岩はどこかの大陸の岩石が侵食され海底に堆積したものといわれる。何時かは、わかっていない。叶神・横川(矢崎)のラテライト質岩のもとになるものは、大陸の乾燥した砂漢の砂という。
別の学説では、遥か南のオーストラリア大陸近くからプレートに乗ってきた陸のかけらが、赤道を越え北へ北へと移動し、古い日本列島にぶつかリ合体したのではないかという。
これからの研究が待たれる竹貫変成岩である。
2・3年前、馬場沢の泥質片麻岩で、大作と同じように十字石がみつかり話題になった。
横川(矢崎)の曲り角は、道路拡張で削りとられたが、ここの岩石に珍しい鉱物が入っていた。石墨・リン灰石・鋭錐石・くさび石・ピンクコランダム・サファイヤ・スピネルなどである。
古殿町を広く調べると、貴重な岩石と鉱物が数限りなくある。学者や研究者に資料を提供するだけでなく、町民の宝として、大切にしたいものである。
「歴史教室」における石川町三森たか子先生の講話よリ
(ふるさとセンター芳賀常夫)

暮らしの便利帳

暮らしの便利帳

  • 税金
  • 届出・証明書
  • 教育
  • 子育て
  • 防災・災害
  • 健康・福祉
  • 住宅・土地・交通
  • 水道
  • ゴミ関連
  • 求人情報