貝泊-三株山-古内

かつての塩の生産地だった磐城の浜と、平潟九面両港に荷上げされた瀬戸内の移入塩は、荷駄に積まれ海産物と共に中通りに、会津方面に運ばれていた。
明治時代まで続いていた塩の道も社会の進歩と共に分断され今は道標や雑木林に埋もれた道にかすかに名残りを残すだけである。
昭和五十八(1983)年夏朝日新聞が連載した「塩の道を往く」の取材に一部協力したが、せめて町内を通った塩の道だけは自分の足で確かめたいと、文化財調査の関係者と探訪した。
尚、荷市場-古内線は前年済ませてある。
磐城方面の道は確認されているので三株山線の出発点を県道黒田-浅川線の「久子の内(くねのうち)」にした。
ここには旧貝泊村の道路原標があり隣には「向左石城郡荷路夫勿来」の石標もある。この道標は久子の内と小吹(こぷき)の境を流れる戸草川の橋元の旧道にある。
山岸の県道を進むと山峡の集落「桐木」の彼方に三株山が覆い被さるように姿を現し大鳥牧場の建物も一部見える。
貝泊村は四ヵ村組合村の一村で役場は無かったが道標の上にある芳賀家は、八代続いた名主であるから、道路原標も貝泊村の中心地として設定したものと思われる。
貝泊の地名は貝(峡)山と山との間の狭いところ、そして泊は止るを意味するものという。
又、現在も「牛屋」と呼ばれる家もある。荷駄を積んだ牛の休憩所即ち立場であろう。 県道黒田-浅川線を西に進む。しばらくして右に折れる道は戸草を経て才鉢に通じる道である。

県道に別れて桐木に入る。右に谷川の瀬音を聞きながら山路を辿る。途中民家から飛び出した子犬が道を案内するかのように振り返りながら先頭を行く。「三株山麓も牧場にするため山肌は削り取られ谷は埋められ昔の面影は無くなってしまった」と道を訪ねた老人が話してくれた。
牧場の中腹に立止って振り返ると好天の日は山並みの彼方に太平洋が見えるそうだが今日は雲に遮られて見えない。
大鳥牧場を過ぎ古殿町分に入る。山腹は、桑園と採草地になっている。戦後の一時期食糧自給のため開拓農家がたくさん入植したが、現在では離農家が多い。
畑には雑草が生い繁り、廃家の土間には赤錆びた農具が、そのままになっている。

ふと「故郷の廃家」という唱歌を想い出した。
開拓成功者の芳賀さん宅で茶を御馳走になる。
採草地を過ぎるとバラ線を越え雑木林に入る。三株山の一部分の雑木を残し大部分は牧場になっているので旧道の形は見当らないが方向を定めて歩く。
落葉松の落ち葉が熊笹の上に降り積もっている。

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